抜粋5(2)

  10,この世において極めて断ち難いこのうずく愛欲を断ったらならば、憂いはその人から消え失せる。ー水の滴が蓮葉から落ちるように。

 

  11、さあ、ここに集まったみなさんに告げます。ーみなさんに幸あれ。愛執を根こそぎに掘れ。憂いは存在しない。何の恐れがあろうか。

  

  12,男は愛執を妻として、長夜に臥す。潜む妄執のゆえにくり返し流転輪廻して、くり返し母胎に入る。このような状態、それとは異なった状態というふうに、輪廻のうちに行きつ戻りつする。

  13,しかしこの世でその愛執を捨てて、移りかわる生存に対する愛執を離れたならば、その人はもはや輪廻しない。その人には愛執が存在しないからである。

  14,神々も人間も愛執に依っていて、欲求している。その執着をなす愛執を渡ってのり越えよ。汝は瞬時も空しく過ごすな。時を空しく過ごした人々は地獄に堕ちて憂いにしずむ。

  15,実に愛執が原因で有り、執着は(それに縁って)流れている川である。この世では(欲の)綱が茎をつねに覆うている。蔓草である餓えを全く除去したならば、この苦しみはくり返し退く。

  16,たとえ樹を伐っても、もしも頑強な根を断たなければ、樹がつねに再び成長するように、妄執(渇愛)の根源となる潜勢力を摘出しないならば、この苦しみはくりかえし現われ出る。

  17,譬えば自分が堅固に作った矢でも、(誤って)乱暴に弦に番えると、その人を殺してしまうように、ここで自分の内側から現れて出て蔓草である愛執は、人々を殺すに至る。

  18,愛執は苦しみの起る根源であるとこの危ない患らいを知って、愛欲を離れ、執着して取ることなく、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。

 

   惰性と言っても何かという事をしらないと、愛欲だけでなく、自分のことは何も達成できないということです。惰性で偉そうなこと言うなと言う感じ。己のエゴ。自分で自画自賛しているだけ。そしていつか、言い訳として、肯定する‥ 果たしてそれは、いつからのことか。

 

 

 

 

 

抜粋5

愛執

  1,あれこれ考えて心が乱され、愛欲がはげしいのに、愛欲を浄らかだ  と見なす人には、愛執がますます増大する。この人は、実に絆を堅固ならしめる。

  2,あれこれの考えをしずめるのを楽しみ、つねに心にかけて、(身体などを)不浄であると観じて修する人は、愛執を捨て去るであろう。彼は実に束縛の絆を腐らせる。

  3,人々は、盲目なる欲望の網のうちに投げ込まれ、愛執に藪われて、放逸であり、獄舎にとじこめられている。ー魚が魚獲の網の目にかかったように。かれらは老いと死とに向かう。ー乳を吸いたがるこうしが母牛に向かうように。

 

  4,恣のふるまいをする人には、愛執が蔓草のようにはびこる。体の中で猿が果実を探し求めるように、彼は(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。

  5,人の快楽ははびこるもので、また愛執で潤される。実に人々は快楽にふけり、楽しみをもとめて、生れと老衰を受ける。

 

  6,愛欲に駆りたてられた人々は、わなにかかった兎のように、ばたばたする。束縛の絆にしばられ執着になずみ、永いあいだくりかえし苦悩を受ける。

  7,衆生は愛執に縛られて、移りかわる生存に心がなずんでいる。人々は悪魔によって軛に結ばれ、安頓を失い、生死のうちに落ちて来る。諸々の

軛は実に超克しがたいものだ。

  

 

 

   

 

 

抜粋4

第2章 愛欲

  1,愛欲よ。わたしは、汝の本(もと)を知っている。愛欲よ。汝は思いから生じる。わたしは汝のことを思わないであろう。そうすれば、わたしにとって汝はもはや現れないであろう。

 

  2,欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる。欲情を離れたらならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか。

  3,快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れたならば、憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?

  4,果実が熟したならば、突端は甘みであるが、喜んで味わってみると辛い。愛欲は愚かなる者どもを焼きつくす。ーたいまつを放さない人の手を、たいまつが焼くように。

 

  5,6,鉄や木や麻紐でつくられた枷を聖者たちは堅固な縛(いましめ)とは呼ばない。心が愛欲に染まり愚鈍な人が、妻や子にひかれること、ーこれが堅固な縛(いましめ)であると、聖者たちは呼ぶ。それはあらゆる点で極めて堅固であって、脱れ難い。かれらはこれをさえも断ち切って、顧みること無く、愛欲をすてて、遍歴修行する。

 

  7,世間における種々の美麗なるものが欲望なのではない。欲望は人間の思いから生ずるものなのである。世間における種々の美麗なるものはそのままいつも存在している。しかし思慮ある人々はそれらに対する欲望を制してみちびくのである。

  8,人間のうちにある諸の欲望は、常住に存在しているのではない。欲望の主体は無常なるものとして存在している。束縛されているところのものを捨て去ったならば、死の領域は迫って来ないし、さらに次の迷いの生存を受けることもない、とわれは説く。

  9,実に欲の生じた人は、汚れが漏れ、心が濁りに汚れているであろう。諸の愛欲に心の礙げられることのない人に、(流れを上る者)とよばれる。

 

  10,聡明ないとは順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、ー鍛冶工が銀の汚れを除くように。

 

  11,車大工が(車を修理するときに)皮の紐を切るように、諸の欲望のうちのどれかを捨てるごとに、それだけ安楽が実現される。

 

  12,もしも一切の安楽を受けようと欲するならば、一切の愛欲を捨てばならぬ。一切の愛欲を捨てた人は、実り窮り無い楽しみを受けて、栄えるであろう。

  13,諸の欲望にしたがってるあいだは、心が満足を得ることが無かった。しかしよく欲望から退き休止することを反省して見て、明らかな知恵によってよく満足した人々は、実に満足しているのである。

  14,欲望によっては満足することがないから、明らかな知恵を持って

満足するほうが勝れている。明らかな知恵をもって、満足した人を、愛執が支配することはできない。

  15,愛欲を貪っている人々は実に放逸(わがまま)であって、なしてはならぬことを楽しんでいる。死の危険が迫って来るのをかれらは見ない。ー人生は短いのに。

 

  16,愚人は京楽のために害される。しかしこの世で自己を求める人々は害されない。享楽を妄執するがゆえに、愚者は他人をも自分をも害う。

 

  17,たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。賢者は、「欲望は快楽の味が短い」と知って、

  18,たとい天上の快楽にもこころが喜ばない。正しく覚った人(=仏)の弟子はつねに妄執の消滅を喜ぶ。

 

  19、たといヒマーラヤ山にひとしい黄金の山があったとしても、その富も一人の人を満足させるのに足りない。このことを知って、平らかな心で行うべきである。

 

  20,苦しみと苦しみの起る本(もと)を知る人は、どうして愛欲を楽しむであろうか?思慮ある人は、世間における絆を棘であると考えて、それを制しみちびくために修学すべし。

 

 

 

抜粋3

    21、男も女も幾百万人と数多くいるが、財産を貯えたあげくには、死の力に屈服する。

  22,いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位身分も終(つい)には落ちてしまう。結びついたものは終には離れてしまう。生命は終には死に至る。

 

  23,生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終には死に至る。かれらは(それぞれ)善と悪との報いを受けて、つくった業の如何にしたがっておもむくであろう。

  24,悪い行ないをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(➖天)に生まれるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らかに入るであろう。

 

  25,大空の中にいても、大海の中にいても、山の中の置く深いところに入っても、およそ世界のどこにいても、死の脅威のない場所は無い。

 

  26,この世においては、過去にいた者どもでも、未来にあらわれるものでも、一切を捨て去ることを知って、真理に安住して、清らかな行いをなすべきである。

 

  27,この世で老いぼれた人を見て、また病んだ人を見て、また意識作用の消え失せた死人を見て、思慮ある人は家の絆を捨て去った。ー世間の人々にとって欲楽は実に断ち難いものであるが。

  28,いとも麗しき国王の車は朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし、善い立派な人々の徳は老いることがない。善い立派な人々は互いにことわりを解いてきかせる。

 

  29,なんじ、いやしき(老い)よ。いまわしい奴だな。お前は人を醜くするのだ。麗しい姿も老いによって粉砕されてしまう。

 

  30、たとい百歳を生きたとしても、終には死に帰着する。老いか、病か、または死が、この人につきそって殺してしまう。

 

        31,ひとびとは昼も夜もそこなわれ、つねに過ぎ去って帰らない。魚が火あぶりにされているように、生死の苦しみを受けている。

  32,歩んでいても、とどまっていても、人の命は昼夜に過ぎ去り、とどまりはしない。ー河の水流のようなものである。

 

  33,ひとびとの命は昼夜に過ぎ去り、ますます減って行く。ー水の少ない所にいるさあかなのように。かれらにとって何の楽しみがあろうか。

 

  34,この容色は衰えはてて、病の巣であり、脆くも滅びる。腐敗のかたまりで、やぶれてしまうであろう。生命は終に死に帰着する。

  35,ああ、この身はまもなく地上によこたわるであろうー意識を失い、空ろで、藁のように、投げ捨てられて。

  36,この身体に何の用があろうか?ーいつも臭穢を漏らし、たえず病におそわれ、老いと死におびえているのに。

  37,病患になやみ脆いこの臭穢の身体をもって、最上の安らぎ、無上の安穏に落ちつけよ。

 

  38,「わたしは雨期にはココに住もう。冬ト夏にはココに住もう」と、愚者はこのようにくよくよと慮って、死が追って来るのに気がつかない。

  39,子どもや家畜のことに気を奪われて心が執着している人を、死は捉えてさらって行く。ー眠っている村を大洪水が押し流すように。

 

  40,子も救うことができない。父も親戚もまた救うことができない。死におそわれた者にとっては、彼らも救済者とはならない。

  41,「わたしはこれをなしとげた。これをしたならばこれをしなければならないであろう。」というふうに、あくせくしている人々を、老いと死とが粉砕する。

  それ故に、修行僧らは、つねに瞑想を楽しみ、心を安定統一して、つとめはげみ、生と老いとの究極を見きわめ、悪魔とその軍勢に打ち克って、生死の彼岸に達するものとなれ。

 

修行僧

 

 

  

  

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

抜粋。2

  11,熟した果実がいつも落ちるおそれがあるように、生まれた人はいつでも死ぬおそれがある。

 

  12,陶工のつくった土器のように、人の命もすべて終(つい)には、破れてしまう。

  13,糸を繰ってひろげて、いかなる織物を織りなそうとも、織る材料(糸巻き)が残り僅かになってしまうように、人の命も同様である。

 

  14,死刑囚が一歩一歩ト歩んで行って、刑場におもむくように、糸の命も同様である。

  15,山から発する川(の水)が流れ去って還らないように、人間の寿命も過ぎ去って、還らない。

  16,功労でも繊細なことでも、苦しみトむすびついている。水面を杖で打っても、直ぐにあとが消えてしまう。

  17,牛飼いが棒をもって、牛どもを駆り立てて牧場に到着させるように、老いと死とは諸の病をもって人々の寿命を終わらせる。

  18,昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。ー小川の水のように。

  19,眠れない人には夜は長く、疲れた人には一里の道は遠い。正しい真理を知らない愚かな者にとっては、生死の道のりは長い。

  20,「わたしには子がいる。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかし、すでに自分が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。

 

 

 

 

 

今日は、とある本からの抜粋です。

第1章 無常

  一、この世で、心が暗くふさぎ込んだり眠くなるのを取り除いて、心と喜ばせ、勝利者(=仏)の説かれたこの感興のことばをわれは説くであろう。さあ聞け。

 

  二、すべてを知りきわめた人、救い主・慈悲ぶかい人、最後の身体をたもつ人である仙人、尊師は次のように説かれた。ー

  三、諸のつくられた事物は実に無常である。生じ滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらの静まるのが、安楽である。

  四、何の喜びがあろうか。何の歓びがあろうか?ー(世間は)このように燃えたっているのに。汝らは暗黒に陥っていて、燈明をもとめようとしない。

 

  五、あちこちの方角に投げ捨てられまき散らされたこの鳩色のような白い骨を見ては、この世になんの快(こころよさ)があろうか?

  六、夜の最初のあいだ母胎に入って住みつく人は、安らかにとどまること無く、(迷いのうちに)還って行く。ー去って、もはや還って来ない。

  七、朝には多くの人を見かけるが、夕べには或る人々のすがたが見られない。夕べには多くの人々を見かけるが、朝(あした)には、或る人々のすがたが見られない。

  八、「わたしは若い」と思っていても、死すべきはずの人間は、誰が(自分の)生命をあてにしていてよいだろうか?若い人々でも死んで行くのだ。ー男でも女でも、次から次へとー。

  九、在る者どもは母胎の中で滅びてしまう。在る者どもは産婦の家で死んでしまう。また在る者どもは這いまわっているうちに、在る者どもは駆け廻っているうちに死んでしまう。

 

  十、老いた人々も、若い人々も、その中間の人々も、順次に去って行く。ー熟した果実が枝から落ちて行くように。