10,この世において極めて断ち難いこのうずく愛欲を断ったらならば、憂いはその人から消え失せる。ー水の滴が蓮葉から落ちるように。
11、さあ、ここに集まったみなさんに告げます。ーみなさんに幸あれ。愛執を根こそぎに掘れ。憂いは存在しない。何の恐れがあろうか。
12,男は愛執を妻として、長夜に臥す。潜む妄執のゆえにくり返し流転輪廻して、くり返し母胎に入る。このような状態、それとは異なった状態というふうに、輪廻のうちに行きつ戻りつする。
13,しかしこの世でその愛執を捨てて、移りかわる生存に対する愛執を離れたならば、その人はもはや輪廻しない。その人には愛執が存在しないからである。
14,神々も人間も愛執に依っていて、欲求している。その執着をなす愛執を渡ってのり越えよ。汝は瞬時も空しく過ごすな。時を空しく過ごした人々は地獄に堕ちて憂いにしずむ。
15,実に愛執が原因で有り、執着は(それに縁って)流れている川である。この世では(欲の)綱が茎をつねに覆うている。蔓草である餓えを全く除去したならば、この苦しみはくり返し退く。
16,たとえ樹を伐っても、もしも頑強な根を断たなければ、樹がつねに再び成長するように、妄執(渇愛)の根源となる潜勢力を摘出しないならば、この苦しみはくりかえし現われ出る。
17,譬えば自分が堅固に作った矢でも、(誤って)乱暴に弦に番えると、その人を殺してしまうように、ここで自分の内側から現れて出て蔓草である愛執は、人々を殺すに至る。
18,愛執は苦しみの起る根源であるとこの危ない患らいを知って、愛欲を離れ、執着して取ることなく、修行僧は気をつけながら遍歴すべきである。
惰性と言っても何かという事をしらないと、愛欲だけでなく、自分のことは何も達成できないということです。惰性で偉そうなこと言うなと言う感じ。己のエゴ。自分で自画自賛しているだけ。そしていつか、言い訳として、肯定する‥ 果たしてそれは、いつからのことか。