腰抜かす

しばらくしてわかった。最後の時に勉強しました それは重度の認知症の階段教室に行った時のことです それがまず教室というか 部屋を案内された時に人数とそのいくつから部屋はあるんですけど その部屋の間には敷居が全くなくあるのはタンス 一つとマットレス 1枚という状況で 呆然としてしまいました人が人である前にその症状がそれだけひどいものなのかなと思うと言葉もなく 呆然として 立ち尽くすっていう感じでしたが 仕事なので気持ちを切り替えて対応しましたが やはり そこの職員の人は筋金入り という感じで適性を見抜くというか やはり そこには仕事としてあるべきにとしてよりも人間の倫理観とかそのその心というか 思いやりしかないのかな と思いました 本当に素晴らしいというか 理性というよりも ただ そんな感じでした あるのはまるで人がいない教室のようでものがあるんだけどそのものがタンスと マットレス 一つの部屋に1つしかなく そのあるのは 殺伐とした いくつかの 何だろう タオル というか それだけでした。まるで海鮮の症状を見た時に才能というか 脂質というか それは人それぞれだと思うんですけどだけどその衝撃と同じぐらいにひどい症状あと 自分では思いました そこで無言でいられるか ギャーギャー騒ぐかっていうのが またその各々の性格だと思うんですけど 私の場合はどちらかというと子供は失ってしまうので スキームというより軽い脳神経 みたいな 今 腰を抜かしています 腰を抜かした症状は昔からある程度 自分で理解してたので 分かってるんですけどその腰を抜かした状態で動いてしまったために悪いことが 怒るっていうのも 自分のその中にある自然の摂理に対する法則というものがあって 地震の時もの あの 腰抜かしたんだけど動かなくて しばらくそのままだったんですけど こないだ 腰を抜かして分かった上着に動いちゃったからちょっとなんかえっていう 災難続きみたいなのが起こってまた今もう 腰抜かしてるんですけどその時も動くのやめようっていうか でもそれさえ 理解できないというか そういうに動いたのかな とも思います それだけ自然の秩序というかもう 秩序になるのかな と言うか大自然の法則に逆らっていては絶対いい罰が当たると思います それが返せの症状でもあるという感じでブツブツの水泡のそれ の延長線上 が皮膚のただれ みたいな 白カビのを売ったような状態だった これはカビの症状とかペドロとか大自然のものを見てれば流れによってその消去がわかるのと同じように人間の体もそうだと思いました。人間の限界は自分でわからないものだから と思います それが 報告書 である 認知症はすっきりなったわけではないということを勉強したにもかかわらず 報告書には そのようなことを書いてしまい 赤字でこの人は好き で認知症になったわけじゃないよ というような修正は頂きました それだけこう人の限界というか 意識においては怖いというか大変なのかなと思いますやはり女の人はそういうところでは男性よりも 器というか 魂の質というか それが全然違うのかなと思います あまり無理しないことですね 壊れないためにも。途中から雨が降ってきました それを見て 洗濯物と布団が干してあったんですけど腰が抜けていて立ち上がろうとしても無理な状況ではないんですけど 立ち上がると悪いことが起こると思って考えていた後でした それを見て ちょっと日本語が違うような気がするんですが このまま行きます それでやはり人間は一人じゃ無理なんだと思ってしまいました 蒲原というか そういうがじゃなくて 意固地になるのはやめようと思いました このままだとお布団は寝れるししかも それは 毛布だし 乾かせばいいものではないと思います よって よっても良くないという言葉だと思います 。特に 目上の人に対しては だと思ってます それで 神道とかの神様に対しては思いました 神道の神様のかなと思います。

今日?

何様のつもり?

 頭にきました。怒りもここまでくると、切れます。わざと、原因を作り、ことを起こさせようとするのかということです。それで、結局、己ということでの集結かよという言葉遣いも悪くなります。それくらいに、頭にきます。仏教用語を使うと、無自性。それを利用しての、悪口、もうご。それとも、今流行りのかつてかな、?ノーマライゼーションという己の成長のために勉強、一言で言えば、それだけのことを、英語で行っているだけの見栄のように思えますが、ただの資格ということですよね。

 

それをどう言い方を変えての成長、勉強でしか有りませんが、それを知らないと馬鹿にするという傾向も有りました。しかし、勉強においてそれが当然のことです。それを今更自慢することはないと思う。しかし、それが、その人の性格ということでしょう。それをまずはじめに理解しないと、ノーマリゼーションも無意味な気がします。知識イコール、年をとってからは、偏差値では有りませんから、どう勉強するかということだけのことです。それを?カッコつけて?話にならない。まあ、気が変わって、年を取ってからの勉強ということで、ゆとりがあるから、または、仕事で必須ですということです。しかし、それは、必用とあらば、それは当然のことというレベルではないのかということです。だから、自慢するということでしょう。

 

性格悪い。また、それで、嫌がらせを言いふらすという人もいます。一体、業とはなにかということも考えられます。 様々な考えが有りますが、何を信じるかは己ということです。そこまで、管轄している宗教は、果たして、あるのかということです。しかし、その噂の出どころはということから始まりますが、後は、多くの人の性格ということです。その性格が好かれるかどうかということです。特に就職に置いては、関係ないようで、しっかりと、あります。そこを理解できるかどうか、そこまで、分かる人が今、どのくらいいるのかということもあります。精神性の低下ということでしょうか?昔は、それを常識と言っていましたが、それくらい、常識、イコール考えの低下もあります。それは時代とともにという言う事か、または己の欲のために?ということです。

それは一体何の野心7日、ただの恨みとは違います。それは、他に対して恨むのではなく、その本人り、その人の物を取るという性格の人は、そうするかもしれないということです。それを、本人にしないからという見方の人もいますが、本来、人の大切にしているものを奪うという性格の人は嫌われます。それをどうして、好かれる、嫌われるのという疑問は、どう思うか、少し虚無に思われます。

 

自分が嫌なことは、人も嫌なことということが、わからないという親の躾がなっていないとうこともできます。信じられない。全く、信じられないということです。己の欲のために、考えで、今の時代の多くの人の精神性なら、これは、果たして、時代とともに、変わっていくことなのかということさえ、思われますが、その中でも、人間性ができている人もいます。そのような人が、勝っていくとことにもなります。しかし、これだけの人がいるわけです。よって、その正しさを見抜く力があるかどうか、また、養えるかどうか、己の問題ということです。よって、人に考えを押し付けるなということです。それは、強要にも繋がります。まるで、主義が違う国のようでもあります。ただの色欲だけでは、収まるような気はいたしません。

 

それを、見るなら、それなりの、ルールがあるはずです。悪口を聞いて、治すということなら、聴衆として、述べたほうが早い。昔で言うなら、苦情です。特に、報道関係の苦情は、すごい大変ということです。己で、選んだ仕事でのことなら、己。それをどうして、宗教など関与するのか。たしかに、テロ関係もあります。しかし、テロと同じことをしていたら、テロとして見られるのは当然のこと。それさえ、理解できずに、己を、自分をまもるためにという言い訳を述べる。果たして、これで、いつまで続くのか、終わりは、あるのかということです。そして、それ以上述べるなら、存在に繋がります。あんたがいるから。ということですが、やっているのは、己です。ここでは相手という意味です。その日本語の使い方でさえ、分からない人が、一体何のためにしているのか、動機が不明です。悪くなると人のせい。ただの性格の悪さでしか有りません。

存在よりも、否定するのが当然。それを規制するのが、警察関係です。それを無視して、テロと同じことをしているのはどういうことかということを問いたい。そして、間違った噂。冒涜でしか有りません。仕事のできる人なら、きっとこうするでしょう。うわさ聞いたけど、本当?ということです。それさえもせずに、一方的にこうだと決めつけ、嫌がらせ、いじめはどうかと思います。性格悪いと言うしか言えません。それでは、就職に落ちるということですが、どうして、このひとが?という人も中にはいます。見栄?性格ですからね。そして、自分がいわれたら、人権などということを言いふらし、嫌がらせです。ここでの人権なら、どういった人権か、色欲と同じように思われては、これも、そのような人たちから見れば、冒涜としか言えません。歴史の長さが違います。そこをしっかり理解したうえでの、発言をしていかなければ、どのような暴動が起こりかねるかということのほうが、不安です。故に、それができないようなら、その仕事の適正はないということです。脂質だけでなく、性質、適正はないということで、人事ミスということになります。昔は、自分の所有物の電波という嫌味も聞いたことがあります。果たして、その問題も片付けられたのか?電波もそうなら、時間も同じです。その人の時間を勝手に使い、自分がつかれたから、こうだからという理由で、勝手に、行動を起こしている人も中にはいます。どうしてあんたがねているのよ?どう見ても、理解できない言葉です。その人はよくテレビにもでていて、トイレットペーパー1つ5000円のものを使っているそうですが、テレビに絞ったらどうですかと言いたい。よって、夜中の仕事はしなければいいじゃない?まるで、人の体を使っての、性売春の強要としか言えない。ただ?それともなってからのお世話?手につけておいての今後の活躍?夜中の友と会えなくなるから?お金持ちの道楽でしょうか?人身売0?仏教を利用しての?そのようなお坊様がいたら、その人は、破壊でしょう。戒律のは解として、還俗ですよね。神仏は全く無い。それをあるとして言うなら、新興宗教として存在しているのかという疑問も湧きます。それに利用される無自性での発言。テロではかつて、決意と有りましたが、そのために?とも思えます。これってかなりやばいよと思いますが、あなたはどう思いますか?

抜粋7  感興のことばより

第5章

  1,愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものを離れたならば憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?

  2,愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものは、変滅してしまうから、ついには、狂乱に帰す。

  3,世間の憂いと悲しみ、また苦しみはいろいろである。愛するものに、由って、ここにこの一切が存在しているのである。愛するものが存在しないならば、このようなことは決して有り得ないであろう。

  4,それ故に、愛するものがいかなるかたちでも決して存在しない人々は、憂いを離れていて、楽しい。それ故に、憂いの無い境地を求めるならば、命あるものどもの世に、愛するものをつくるな。

  5,愛するものと会うな。愛していないものとも会うな。愛するものを見ないのは、苦しい。愛しないものを見るのも苦しい。

 

 

抜粋6(3)

  21,多く説くからとて、そのゆえんにかれが道を実践しているのではない。この世でたとい教えを聞くことが少なくても、身をもって体得する人、怠って道からはずれることの無い人ーかれこそ道を実践している人なのである。

  22,たといためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。牛飼いが他人の牛を数えているようなものである。彼は修行者の部類には入らない。

  23、たといためになることを語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てたならば、その人は、修行者の部類に入る。 

  24,つとめはげむことを人々はほめたたえる。放逸なることはつねに避難される。マガバットは、つとめはげんだので、神々のなかでの最高の者となった。

 

  25,なすべきことに努めはげむことを賢者は常にほめたたえる。つとめはげむ賢い人は、(次に挙げる)二つのことがらを極めてよく把捉している。

  26,1つは、現世に関することがらであり、他の1つは来世に関することがらである。思慮ある人は、事がらを見きわめてさとるから、(賢明な人)とよばれるのである。

  27,修行僧は、つとめはげむのを楽しみ、放逸のうちに恐ろしさを見、悪いことがらを吹き払う。ー泥沼に落ちこんだ象のように。

  28,修行僧は、つとめはげむのを楽しみ、放逸のうちに恐ろしさを見、悪いことがらを吹き払う。ー風が木の葉を吹き落とすように。

  29,修行僧は、つとめはげむことを楽しみ放逸のうちに恐ろしさを見、微細なものでも粗大なものでもすべて心のわずらいを、焼きつくしながら歩む。ー燃える火のように。

  30,修行僧はつとめはげむのを楽しみ、放逸のうちに恐ろしさを見、一切の束縛の絆の消滅し突くすことを次第に体得する。

  31,修行僧はつとめはげむのを楽しみ、放逸のうちに恐ろしさを見、やすらぎの境地を体得する。それはつくり出すはたらきの静まった安らかさである。

  32,修行僧はいそしむことを楽しみ、放逸のうちにおそろしさを見、堕落するはずはなく、すでにニルバーナの近くにいる。

  33,起てよ。つとめよ。平安を得るために、ひたすらに学べ。心が落ち着かないこと、放逸、奮起しないこと、わが身を制しないこと、

  34,睡眠、惓怠・惰情ーこれらは修行の妨げである。そのよすがを知り突めよ。ー心の落ち着きが妨げられることの無いように。

  35,奮起せよ。怠けてはならぬ。善き行いのことわりを実行せよ。ことわりに従って行なう人は、この世でも、あの世でも、安楽に臥す。

  36,修行僧らは、つとめはげむものを楽しめ。よく戒めをたもて。その思いをよく定め統一して、自分の心をまもれかし。

  37,さあ、奮い立て。外へ出て行け。仏のみ教えにつとめよ。死王の軍勢を追い払え。ー象が葦の生えている住居を出て行くように。

  38,この説教と戒律とにつとめはげむであろう人は、生れをくりかえす輪廻を捨てて、苦しみの終滅に達するであろう。

 

 

 

 

 

抜 粋6(2)

  17,譬えば車夫が平和な大道を捨てて、凹凸ある道をやって来て、車軸を毀してはげしく悲しいように、

  18,愚かな者は、法から逸脱して、なしてはならぬことを実行して、死魔の支配に屈し、車軸を毀したように、悲しむ。

  19,なすべきことを、なおざりにし、なすべからざることをナス、高ぶって放逸なる者どもには、汚れが増す。かれらには汚れが増大する。かれらは汚れの消滅からは遠く隔っている。

 

  20,よく修行を初めて、常に身体(の本性)を思いつづけて、為すべからざることを為さず、為すべきことを常に為して、心がけて、みずから気をつけている人々には、諸の汚れがなくなる。

  21,

 

 

 

 

 

抜粋6

第4章

  1,つねに励むのは不死の境地である。怠り怠けるのは死の足跡である。つとめ励む人々は死ぬことが無い。怠りなまける人々は、つねに死んでいる。

  2、つとめはげむことについてこの区別のあることを知って、賢い人、聖者は、自分の境地であるつとめはげむことをいつも喜ぶがよい。

  3,たえず(道に)思いをこらし、つねに健く奮励する、思慮ある人々はニルバーナに達する。これは無上の幸せである。

 

  4,賢明なる人がつとめはげみによって放逸をたち切るときに、智慧の高閣に登り、憂いを去って、憂いある人びとを見下(おろ)す。山の上にいる人が地上の人々を見下すように。

  5,聡明な人は、奮い立ち、努めはげみ、自制、克己によって、(よるべとしての)島をつくる。激流もそれを押し流すことができない。

  6,ふるい立ち、思いつつましくこころは清く、気をつけて行動し、自ら制し、法にしたがって生き、つとめはげむ人は、名声が高まる。

  7,心のなかで、怠ってはならぬ。絶えず沈黙の教えを実行せよ。休らいに帰し、つねに専念している修行完成者には、憂いは存在しない。

  8,下劣なしかたになじむな。怠けて人々とともにふわふわと暮らすな。邪な見解をいだくな。世俗のわずらいをふやすな。

  9,世俗的であっても、すぐれた正しい見解をもっているならば、その人は千の生涯を経ても、地獄に落ちることがない。

 10,智慧乏しき愚かな人々は放逸にふける。しかし心ある人は、つとめはげむのをまもる。ー隊商の統領が財宝を(大切に)まもるように。

 11,叡智の無い愚かな人々は放逸の状態をつづけている。つとめはげむ人は、つねに瞑想し、汚れの消滅を達成する。

 12,放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は、不動の楽しみを得る。

 13,今や怠りなまける時であってはならない。煩悩の汚れを滅ぼし尽くさないならば、その放逸なる人を、悪魔がつきそって行く。鹿の母が獅子につきそって行くようなものである。

 14,放逸で他人の妻になれ近づく者は、4つの事がらに遭遇する。ーすなわち、禍を招き、臥して楽しからず、第3に避難を受け、第4に地獄におちる。

 15,禍をまねき、悪しところ(地獄)に堕ち、相ともにおびえた男女の愉楽は少なく、王は重罰を課する。人は他人の妻になれ近づいてはならぬ。身体が崩壊したのちには、地獄で火に焼かれる。

 16,自分の益になるものであると知り得ることを、あらかじめ為すべきである。(無謀な)車夫のような思いによらないで、賢者はゆっくりと邁進すべきである。